書という芸術はそもそも中国の文字を素材として、これに表現の様式を与えたものです。文字が書かれてあれば直ちに書であると考えるのは間違いですが、文字なくして書は生まれなかったでしょう。
 中国の文字はものの意味を伝えたり、記録したりする目的をもって考案されたという点では、世界中のどの文字とも変りありません。しかし、長い歴史の中で、特別にこれを尊重するという思想が生まれました。文字を素材とした書が芸術として高度に発達したのはこのことと重要な関係があるように思えます。すなわち文字を神聖視する思想が書を生み出した原点であると言っていいでしょう。  ただし、それだけでは見た目の美しさだけを見せるにとどまり、これを見る人に強く訴える力は持ちえません。書がさらに強い力を持つためにはこれを創った人の人間的な性情が大きく左右するのです。人には生まれながらの先天的な性情と、成長していく過程で身に着けていく後天的な性情があります。この二つが溶け合って個性を形成し、書という芸術に結実してくるのです。このことから書という芸術はこれを創るその人自身の累積が瞬間的に表現されたものであると言えるでしょう。(同じ視覚芸術である絵画とはこの瞬発性という点において一線を画すことができます)つまり精神のひらめきをいかに工夫して処理するかが大切な芸術であると言えます。
 さて、中国から5・6世紀頃伝わった文字(漢字)をもとに日本では仮名文字が作り出されました。漢字は表意文字である点が西洋の表音文字との大きな違いであります。その点、仮名文字は西洋と同様の表音文字です。日本語の話し言葉に合わせた仮名文字が考案されて、奈良時代以降は和歌が発達し、知識人は和歌の素養を求められました。そのことに伴って和様調の書も確立していくのです。現代日本の文学表現や書表現はこういった漢和の文字を駆使し、工夫することから生じてきました。もちろん、中国の人々が文字に対して抱いてきた"性霊的生命感"であったり、東洋画の根本理念である"気韻生動"は日本の人々にも受け継がれました。(これもまた書が成立する重要な条件であります)
ただ、戦後の西洋的芸術観を受け入れた日本の書表現は多様化し、その結果として現代書は大きな展開を見せるのですが、それもかれこれ70年の年月を経ようとしている現在、順調に進化しているとは言いがたい。それどころか、ますます混沌とした様相を呈しているといった状況です。
 書表現はあくまで文字の意味を乗り越えてその視覚的表現の真相にまで迫ってこそ意義がある。鑑賞者もそれを受け止められなければ、作品を真に理解したことにはならない。と、思われます。ただしこれは簡単なことではありません。感性だけではすまないのです。知識や経験だけを積んでも解決しないこともあります。すべてがバランスよく融合されてこそ、書を深く理解することになるのです。そしてそこまで行き着けば、もはや書かれている文字や文章の意味が何であるかという問題もそれほど重要ではなくなるでしょう。その時初めて純粋に書を味わうことができたということになるのです。もし言葉の意味内容に感動するようなだけで、終わってしまうなら、それは文学の領域に終始してしまうことになると思われます。

    ここから発信していこうとしているのは、この混沌の実情を総括し、新たな、そしてより具体的な"視覚芸術としての書"の提案です。
    独善という批判は甘んじて受け入れますが、これが長い変遷の果てにたどり着いた現状の最善の答えであることは信じて止みません。


※この一文は青山杉雨著『文字性霊』(1991)に収録された ― 初めて書を見る外国の方へ(1980)― を基に現代の実情に鑑みて、
このサイトを進めていく上での魁として書き下ろした拙文であることを付け加えておきます。

前略 篠田先生亡くなられてもう13年になるのですね。この間、折りにふれて作品集を拝見するたびに、私はそのお仕事ぶりにおそれながら益々シンパシーを感じています。それは、先生の一連の作品群が墨人会のメンバーとして森田子龍、井上有一らとともに模索した"書の在り方"というテーマにひとつの答えを示しているように思えるからです。
 今さらあらためて言うまでもないことですが、人間は言葉を操り、他との高度なコミュニケーションを図ることのできる唯一の生物です。言葉は単に記録や伝達という機能も併せ持ちますが、"書"となると実例とは離れた形而上の場面で展開されるものです。書は心の揺らぎや軋みを言葉に託し、呼吸と連動した腕から筆を介して書き記されることによって、美を獲得することのできる手段であると思うのです。勿論、厖大な語数とその巧みな組み合わせが、より複雑な感情や思索の表現に繋がり、人生に対する深い洞察を伴ってはじめてその輝きを増します。加えて先生の場合は刻むという行為が加わることによって、言葉の裏に隠れた感情、ひいては翳りのようなもの、それが陽炎のように揺らめき立つという効果を生んでいます。同じ思いを持つ他者はそのことに感応してしまうのでしょう。
 書家は書家である前に詩人であれ、思索家であれ、そして人間であれと先生の作品は示してくれています。先生の発信した低周波の波動は今も静かに私の心を震わせ続けているのです。
草々      
「日本書法」掲載の抽出を一部改め転載
1927年
岐阜県に生まれる
1935年
小学校二年生の時、受持ちの中西(志津)富貴子先生から
熱心に習字の指導を受ける
1946年
岐阜師範学校にて三宅武夫先生に書を学ぶ
1948年
兵庫県豊岡市にての"書の美"講習会に参加。
「書の美」へ出品つづける
1949年
書道芸術院展に「戦争反対」入選
1950年
杢星展入選
1952年
墨人会の結成を知り力強く思う
1953年
この頃より木版書をはじめる
1956年
墨人賞受賞。墨人会員に推挙される。
以来、主に現代詩をもととして木版書制作を続ける
2000年
逝去。享年73歳
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